喜びの油注がれた教会
神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、
シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。イザヤ61:1〜3
まずこのイザヤ書61章が書かれた時代はどんな時代だったのでしょうか。バビロニアの軍隊がイスラエルを侵略してエルサレムの町は破壊されてしまいました。そしてエルサレムの住民たちはバビロニアの軍隊に捕虜にされ、バビロンという所に強制的に連れて行かれたのです。そしてそれから数十年経ってから、捕囚から解放されて、エルサレムに戻ってくることができたのです。
彼らはエルサレムに帰ったら、まず神の住まいであるエルサレムの神殿を再建しようと思っていました。「また前のように、みんな一緒に礼拝できる」そう思って、旅を続けて、エルサレムに戻ってきたのです。しかし、いざエルサレムに帰ると、エルサレムの町も神殿も荒れ放題に荒れ果てていました。かつて自分たちが住んでいた家も、かつて自分たちが礼拝していた神殿も、原型を留めないほど破壊されてしまっていたのです。
彼らはそれでもなんとか神殿をもう1度、再建しようとしますが、その再建も様々な妨害にあったりして、すんなりはいかなかったのです。エルサレムヘ帰るときにはそれなりの希望を持ち、期待をしていたことでしょう。やっとエルサレムヘ帰り、エルサレムの神殿を再建することになり、これからと言うときに、その神殿の再建も中断してしまう。しかし現実にはその希望をうち砕くようなことが起こっている。大きな希望を持っていればいるだけその分きっと失望も大きかったこととでしょう。なにもかもうまくいかない、これからもうまくいきそうにもない。そんな風に未来に希望を持つことができない状況でした。そしてまさにそんな時に、神様は語りかけられたのです。それが今日の聖書の箇所です。
「シオンのゆえに嘆いている人々に灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせる」3節 まったく未来に希望が持てない、しかし神様はそんな状態180°転換してしまおうとしておられたのです。
まずここに「灰に代えて冠をかぶらせ」と書いてあります。イスラエルでは何か深い悲しみの出来事が起こった時に、灰を頭からかぶる習慣がありました。肉親が死んだときと、何か大きな天災に遭ったとき、戦争に巻き込まれたとき、疫病かはやったとき。
そのようなとき、人々は断食をし、粗末な服を着て広場に行き、灰を頭からかぶったのです。ですから「灰」というのは悲しみや失望(失意)を象徴しています。しかしここで神様は悲しみの象徴であるその灰を、喜びと栄光の象徴である冠に代えるとおっしゃっておられるのです。今までは悲しみや失意でいっぱいであった心に、喜びを与え、喜びに満たしてくださるとおっしゃっておられるのです。神様は私たちの嘆きを喜びに変え、私たちの絶望で暗くなった心を讃美に代えてくださろうとしておられるのです。
神を喜ぶことはあなたがたの力です。そして次に4節には、もっと具体的に「彼らはとこしえの廃虚を建て直し、古い荒廃の跡を興す」と書いてあります。廃墟のようになった神殿を建て直すということです。どんなに頑張ってみようと努力してみた、しかし思わぬ妨害は容赦なく挫折へと私たちを導く。中断せざるを得ない、うまくいかない。
しかしこれからは神様が妨害を打ち砕いてくださって、また必要な物資を与えてくださって、そして何よりもエルサレムの人たちの心が1つになって、神殿を再建できるようにしてくださるのです。
教会の再建(復興)も同じです。神様が共にいてくださって、私たちに必要なものを備え、知恵と力を与えてくださいます。そしてまた妨害してくるもの(サタンの業)を打ち砕いてくださいます。そして神様に助けられ、守られて、私たちが教会を復興させることができるようにしてくださるのです。私たちの業を神様が成功させてくださるのです。そして私たち自身の復興をなさってくださるのは主です。
ルカの4章にある安息日のこと、イエス様は聖書朗読の当番に当たっておられたので、会堂に行かれ、礼拝で聖書を朗読されました。その時の聖書の箇所が今日のイザヤ書61章だったのです。そしてイエス様は聖書朗読が終わると、こうおっしゃられました。21節です。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」 そう語られたのです。言い換えれば、このイザヤ書61章の預言は、イエス様が来られたことによって、イエス様によって、イエス様の力によって実現するということです。「嘆いている人々を慰め、嘆きに代えて喜びを与える」ことも「廃墟を立て直す」ことも「2倍の恥を2倍の祝福に変える」ことも、すべてイエス様によって成就し、実現するのです。
私たちは神様がこの年、新しいことを行なってくださる、そして2倍の祝福を与えてくださり、嘆きを喜びに変えてくださる。その神様に期待して、大いに期待して、2009年の業を始めて参りましょう。そしてこれからも毎週毎週神様が語ってくださる御言葉を私たちは信仰をもって受け入れて参りましょう

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