今後メッセージの更新はこのブログを使っていきますので、よろしくお願いいたします。
12月2日
「命の水」
長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」ヨハネ黙示録7:13〜17
この手紙が書かれた紀元90年当時、ローマの権勢はかげりを見せ始め、各地での暴動が頻発し、飢饉や疫病により大勢の人が死んでいきました。ポンペイの町は地震によって廃墟となっていました。エルサレムは滅ぼされ、ユダヤ人は国を亡くした流浪の民になったのです。ヨハネ自身も迫害により孤島に流されていたのです。そのような災いの中にヨハネは神の裁きを見、その裁きを通して神の国が地上に来つつあることを見ました。当時の人々にとってこの幻は、彼らの歴史を物語る全く真実な出来事として焼き付けられたのでした。
地上では迫害の嵐が吹き荒れているのに、天上では神を讃美する声がこだまする。地上の出来事が忘れられているのではありません。人々のまとう白い衣は小羊の血であらいきよめられています。集まった者たちは地上でそれぞれ苦難を背負い、天に召されました。その彼らが天上では休息を許されているのです。天使たちは歌う。7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
地上では彼らは飢え渇きに苦しみ、涙を流してきました。ここではもう飢えも渇きも涙もない。ヨハネは地上の教会にそれを書き送ります。「今あなたたちは苦しみのなかで、飢え渇き、涙を流している。でも、天上ではそのような不義を裁くための軍勢が既に地上に派遣され、苦しみの後に天に召された民が主の前に集まり讃美している。殉教を恐れるな、彼らは肉の命を奪うことは出来るかも知れないが、永遠の命が神により与えられているのだ」と知らせているのです。讃美の声が聞こえてきます。それが第7章です。キリストに従って死んでいった者たちが、神の僕の刻印を押されて、天の礼拝堂に集まり、讃美しているのです。
7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。
7:10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」
国々から集められ た人々が白い衣を着て神と御子の前に集い、讃美しているのです。それに呼応して天使達が歌う「アーメン。アーメン」。
そこには悔い改めた人々の賛美と歓喜の声が上がっています。天において喜びが溢れているのです。
ルカ15:5〜7 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って
来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。
す。
人はどんなに患難にあっても、悔い改めに導く力はない。多くの人は却って心をかたくなにし、神をのろうようになって行く。しかし神の民は患難の中で目を醒ましていくのです。
私は悔い改めが足りません。と言われますか。いえ、悔い改めは量ではありません。悔い改めた歩みは6ヶ月続きますか。3年でしょうか。木のよしあしはその実によって解るのです。恵の真っ只中で、何故呟きが始まっていくのでしょうか。
命を失っているのです。悔い改めにはそれにふさわしい実が必ず実ります。
ヘブル3:7〜19 ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。あなたがたの先祖たちは、そこでわたしを試みて証拠を求め、四十年の間、わたしのわざを見た。だから、わたしはその時代を憤って言った。彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息にはいらせない。」兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」と言われているからです。聞いていながら、御怒りを引き起こしたのはだれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た人々の全部ではありませんか。神は四十年の間だれを怒っておられたのですか。罪を犯した人々、しかばねを荒野にさらした、あの人たちをではありませんか。また、わたしの安息にはいらせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。それゆえ、彼らが安息にはいれなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。
命の水の泉に至る悔い改めを主は今日あなたに導いておられるのです。