マスター 雑感である。
ただ楽しければいい。
そう趣味ですから。基本はそれでいい。が、まこ☆すたの本意ではない。
好きなものは楽しく。それはあるレベルの人の考え方。
例え好きなものでも、極めるためには、どこか異常でなければいけない。だから、葛藤もする。不安にもなる。勇気も、忍耐も大切になる。
コスプレに依存し、世界観に埋没し、救われた気になってしまう方は、正直、コスプレを辞めたほうがよい。麻薬と一緒で百害あって一利もない。また、実際に酷い精神病理と戦っている方も、辞めたほうが良いと考える。が、そのような方の場合、逃げ場所を失っているかたも多いので、まずは、落ち着くことも優先したい。
僕にとって芝居は全てだった。好きであった。好きだから極めたかった。だから自分を追い込んだ。いや、追い込めた。そして認められ、ファンもできた。人に言えるだけの準備や勉強は寝る間も惜しんでやった。写真もそう。取材も編集も同じ。だから、よく若い人が使う、かりそめの「好き」に反応してしまう。
嘘はいい。いや、そんなレベルの馬鹿と出会いたいのである。
気が付けば、まこ☆すたの常連は、かなりのフリークたちだ。かなりの曲者で、基本的にピンで生きているレイヤー。我がしっかりある連中。
コスプレと言っても、中身はいろいろ。特に簡単になってしまった今、昔かたぎのレイヤーというのは必然的に少なくなろう。
そして、ついにはROM販売の時代へ。商売になるためにはクォリティも上がるだろうが、基本的な愛はかけていくだろう。
全て、予想通り。コスプレは大衆化し、商売になり、簡単に手を出せ、その質は変化極まりなくなる。
だから、新しい価値を作るべきことを、うたってきたが。。。。もう、そうはなるまい。趨勢はガキの遊び、マーケットの道具になる。。。。そして、一部、性癖の道具にも。
まこ☆すたが生き残るべきは、やはり、硬派な道場。自分でライティングし、自分で光と空間を創造して、自分だけの感性を表現するための箱。
その他大勢のコスプレイヤーから、そうした本物が生まれてほしい。そして、おれを追い求めるカメラマンならば、まこ☆すたでもいずれ受け入れたいものである。
一眼レフがこんなに安く買え、レンズも多い。
本気でカメラを使いこなすレイヤーももっと出てきてほしい。
格好だけで本当はできないならば、質の良いカメラマンと本気でコラボすることだ。そうした活動のなかで、コスプレを問いなおすべきだ。

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