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小森清貴 solo Album『カトレア』発売中 詳細

小森清貴 Twitter @kiyotakakomori
連絡先 kiyotakakomoriofficial@gmail.com
  | 投稿者: komori

Kiyotaka Komori

・rock 'n roller
・guitarist
・vocalist
・作詞作曲家
















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2017/9/19 | 投稿者: komori

日記


9/15
 komori+yusaにて渋谷LUSH&HOMEでの往来イベント『トーキョーワンダーグラウンド vol.3』に出演。「音楽八分目」というレビューブログを書いている藤井くんという青年の企画である。我々も何度か掲載して頂いたことがあり、大手ロック雑誌の下手なライターなんかより余程文章、着眼点共に面白く、何にせよ誰に頼まれたでもなく報酬があるでもなくとも書くのだから(笑)、その起動力に愛情があって、いい。自分もまた最近このブログというツールを見直すようになった。

 ライヴはビイドロのパフォーマンスが圧巻だった。ヴォーカルの青柳さんが、ビイドロは現状自身も子供が2人いて忙しくまたメンバーも多忙なため、殆どライヴに向けてのリハが出来なかったこと、だけれど久々にメンバーと会って演奏したり、一緒にリハの後飯を食いに行ったりしたのが楽しかったこと、などを話してくれた。メンバー各々が「ビイドロ」というバンドを好きなんだなという愛が、演奏に出ていた。その想いの強度には、ちょっと敵わなかったなあ、僕らはこの日。壊れかけのテープレコーダーズにしても、これからの次の10年、20年、どれ程までに過去に自分たちが築き上げてきた軌跡や作品を愛せ、更新することに魂を捧げ続けられるか、だなあ。

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9/17
 新宿シネマートで映画『MOTHER FUCKER』をやっとこ観る。手前味噌な表現しか出来ないが、最高!と拳を突き上げるしかない映画であった。こんなこと自分の口から言えるものでもないけれど、極端な話レスザンTVや、挙句ロックやパンクに興味のなかった人に届くといいなと思った。だってこの映画にあるのはもっともっと大きな「生きる」ってことがテーマに添えられているように思えたから。

 生きる、とはなんだろう。生活とは何か。生計とは。家族とは、何か。好きなこと、って何? 続ける、とは? なんで? 何を貫く? 何を貫けずにいる? 何を守る? 何を犠牲にする? 有限な時間の中で。僕らはどんな道を選ぶのか。

 終演後YUKARIさんに挨拶をし映画の感動を述べたら、「ただ、生活してるだけでから」と仰っていたのが印象的だった。表現や芸術にはいろんな形がある。生活を捨て作品に命を削り続けるのも、そのひとつの姿であろう。だけれども、生活と地続きなもの、取り分けパンクやハードコアという音楽は、生活に根付き生まれる表現の姿なのかもしれないと思え、そしてそれもまた音楽のあるべき姿の一つなのだろう。

 こういう作品をきっかけに、レスザンTVの軌跡や、ないしはインディーズ音楽のユニークさが、まだその世界に足を踏み入れたことのない誰かに100%伝わることはもう間違いなく事実としか言いようがない!と映画観て思ったから、ホント、楽しいことばかり!

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9/18
 大森靖子の生誕祭に行く。ライヴはちょっとしか間に合わなかったが、最後に「音楽を捨てよ、そして音楽へ」をこの日聴けてよかった。一連の騒動は、自分は全く知らずに夏の魔物の弾き語りを観て、うわあ今日取り分けテンション尋常じゃねえ、と感動して、事の発端に前日そんなことがあったのか、と後でしったのだけれど、付き合いも長い自分にとってはそんなにみんな騒ぎ立てたり面白がったりすることなのかなあ、と俯瞰してしまっていたけれど、それだけ彼女(ないし先方)が世間的に有名になり巨大なインフルエンサーをなったんだなという事実を反映しているということでもあったのだが、何にせよ自分は彼女のライヴにおいて己に沸きあがったその衝動や感動のその速度の絶対的リアリティしか信じていないので、あんな体験をさせてくれてありがとう、といつも思っているし、昨日もそう思ったし、これからもそう思うだろう。

 彼女は強いし、自分で言ってるように確かに無敵なんだけれど、だけどあの人は自分で自分の(ないしは人間存在そのものの)弱さや情けなさもよくわかってる人だから、だから僕は信頼しているのだ。出会ってから随分の歳月が経ったけれど、根源にあるものが、全く変わっていないし、その純度の高さにいつも驚かされる。だから、夏の魔物のライヴの時泣きながら笑いながら「こんなんで、すみません」って言ってたのを僕は聞き逃さなかったけれど、そんなふうに言ってるんだからさ、やっぱりね、門外漢のようね連中が我先にと曲を聴いたことすらないのにやれ何が正しくて何が間違いだの持論を蛆虫のように撒き散らしはじめる風潮とその当事者達は、やはり、クソっすよ。心の底から勝手にしやがれと思うし、そういう無様な労力に一生有限なる時間を費やし続ければいいよね、と思う。マザーファッカー。




追記

最近よく聴く。クソかっこいい。



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2017/9/12 | 投稿者: komori

 9/9、10と非常に濃密な2日間を送ったので、それを経て湧き上がった感情を忘れえぬために日記を記します。

 
9/9
 
 壊れかけ企画の昼イベントで『louder than bombs』という企画を下北沢THREEにて行った。元々Weekday Sleepersと対バンしたいなあと思ってた頃合に偶々Teenager Kick Assをはじめて観て衝撃を受け、この組み合わせでやりたいなあ、と思った。土曜の昼のイベントにしたのは、Weekdayが土日しかライヴ出来なかったり、あと僕がブッキング組むのが遅くて土日の夜が目ぼしい場所で空いてなさげだったのとか、あとTHREEが善良なシステムで昼の時間を開放していて、出演者にちゃんとギャラを払えるシステムだったから、とか。そういう安直と言えば安直、ただもうそういうぱっと思いついた直感的な感覚のスピードを頼りに、今までもそうやってきたつもりだけど、今後尚更そうやっていきたいんです。この感覚に勝るまわりくどい説明のような理由は存在しません。結果として、とてもいい内容になったと思っています。たまらなくロックロールなイベントでした。

 これまでの音楽活動で培われた、そういう直観力はそこそこ冴えている方だという自負があるので、今後も、思いついたことだけをやって行きたいと思います。

 そうやって形成された時間空間を共有出来た皆さん、本当にありがとう。お客さん、出演者、ライヴハウス、バンドメンバーに最大限の経緯を。

 その後、夕方〜夜にかけて、笹口夫妻の結婚パーティーに出席。ずっと昔からの付き合いの大好きな2人の新たな門出に立ち会えて、感無量でございました。この間おやすみホログラムの八月ちゃんの生誕祭に行っても思いましたが、お祝いする、という行為はとても素晴らしいことだな、と、そして祝福する時に生じるこの晴れやかな感情が、大変心地の良いものだということに、こんな年齢になってようやく気付きました。そして祝いの席で必要なのは、食事と、酒と、そしてもういとつ、音楽なんだなと思いました。

 笹口さん、えにりん、末永くお幸せに。

 ほんで、深夜BAYCAMPにHave a Nice Day!で遊佐さんが出演するので、共に川崎へ。一年振りにやって来た東扇島東公演はやはり最高のシチュエーションで、夜風と対岸に見える川崎工業地帯の夜景だけで、もう相当に満足なものでした。深夜のハバナイのライヴは案の定暴動そのもののような盛り上がり、というか暴動で、僕は無謀にも半ズボンとビーチサンダルで参戦したら案の定怪我をしましたが、それはそれでやっぱり最高に楽しいものでした。

 ツイッターにも書きましたが、自分には某ロックフェスが大々的に謳う「モッシュ・ダイヴ禁止」というのは、やっぱりよく理解が出来ません。確かに危険なものであるのは確かだけど、人は興奮すると踊ったり、叫んだり、挙句の果てには暴れまわったり、飛んだりする、そういう生き物だと思っています。それは理性や論理を超えた部分にあるもので、細胞が躍動し、自ずとそうなってしまうものだと思うのです。そういう心を解放するものこそが、ロックンロールであると。最低限のルールを守れば、あとは自己責任かと。極端な話、怪我をしない屈強な身体能力を身につければよいとすら思っています。そして本当に危険な時、モッシュピットでは、人と人は助け合います。そういう体験をいくつもしてきたので、知っています。

 僕は以前某フェスに行った時に、ものすごく巨大な看板に「モッシュ・ダイブ完全禁止」と書かた札が立ってたのを観て、衝撃を受けました。ロックフェスが、人間の細胞の躍動を去勢すること、果たしてそれはロックフェスなのだろうか。

9/10
 
 そのまま川崎にて、今度は「夏の魔物」に参戦。実は自分はこのフェスに行くのは初めてです。ロック、アイドル、プロレス、あと今年は80s日本のパンク製、が雑多に入り混じり、会場の客層は今まで体験したどのフェスよりもカオティックで素敵でした。

 観るアクト全てが素晴らしく休む間もなく会場を往来しましたが、中でもゆくえしれずつれずれとBiSのライヴが印象的でした。なんというか、アイドルの子達は自分自身に架せられた業(消費されやすさ、短命さであったり)というものを自覚していて、だからこその「今」にかける覚悟が凄い、と、アイドルカルチャーに触れて日が浅い自分ですが、知れば知る程にそう思います。

 そして大トリの大森靖子は、今日は伝説的な光景を目の当たりにする予感がするとそれなりに覚悟はしていましたが、別次元の凄まじさでした。でも、圧倒されつつも、なぜか自分には無力無善寺や円盤などでやっていた、出会った頃のライヴと、変わらないようにも思うのです。これはあの人の根源にあるもがきっとずっと変わってなくて、その感情を、とてもとても大切にしているからだと思います。会場がでかくなれど、オーディエンスの数がどれだけ増えても、彼女は小さな部屋で、対面して、一人一人に語りかているような、ずっとそんなライヴをしている気がします。

 夏の魔物、素晴らしい時間をありがとうございました。

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 少しずつ、自分の中の、変わらないものは変わらないけれど、変わっていくものは変わってくんだなという自覚があります。

 9月初頭にズボンズのライヴに言った時ドンさんが言っていた「音楽は善なるもの」ということば。100%同調出来るのし、全く以って僕も今そう思うのですが、10年前には果たしてそう思ってたのかな?と少し疑問にも思います。

 善なるもの、か。

 それと「共有」のこと。「共有」とか「共感」ということばになぜかすっと嫌悪感を持って生きてきたんですが、そんなに嫌悪するべき理由はなんだったのかな、とも。ゆるめるモ!のようなぴちゃんかな? がライヴで「私達は共に同じ時間に、ここにいる」というようなことをライヴで言っていたのが残って、共に時間や空間を有し、共に感じるということ。「この音楽を共感、共有して欲しい」、「この音楽は共感出来る」というのはやっぱり気色悪い主従の力学みたいのを感じて未だに嫌悪感があるのですが、ただ「共有」や「共感」は、受け手と送り手のその「間」に確かにあるんだなと、そして受け手・送り手という主従の壁をなくすものなんだなと。

 こういった日々の感動が、また今度は壊れかけだったり、自分の創作に、どのようにな形で表出してくるのか、ということ、そこにはやはり未知があり、道がある、だから音楽は面白いね。

 小さなその一歩でも、訪れし今日に足を踏み出し、生きていこう。
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2017/8/29 | 投稿者: komori

 今日の日の感情を忘れ得ぬ為に。

 8/29 日記

 ひどく不快な朝の目覚め。同居人の「ミサイルのニュースを見て」という声で目が覚める。我が家にはTVがない。生憎己のスマホが数日前に故障。すぐさまPCでニュースを確認。自身や、同居人の地元も警報区域に含まれていることに唖然、と同時に、北海道上空を通過したことにことばを失う。北海道北部と言えば、父方の実家のある区域でもある。また、一昨日、昨日と素晴らしいGIGを東京で行ってくれたhasymonew bandは、北海道から来たバンドだ。もし彼らが帰省中の飛行機に乗車中ミサイルが飛んできたら…と思うと、これは決してもしもの話ではなく、現実的な可能性としてあり得る話なのだと思うと、思考回路が停止しそうになる。

 ミサイルが飛んだ朝も、東京の朝は通常運行の平和さがあったような印象を受けた。僕は仕事に出かけた。職場ではそんな話題は微塵もなかったし、休憩室で放映されていたミサイルのニュースの繰り返しも、多くの人はもう見向きもしていないようだった。

 時折、イエローモンキーの「JAM」の歌詞にあるような気持ちになる瞬間が、ある。

 「僕は、何て言えばいいんだろう。」
 「僕は、何を思えばいいんだろう。」

 時折、色んな事柄が、よく分からなくなっていまうような、そんな1日も、ある。
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2017/8/1 | 投稿者: komori

11回目のフジロックに行って参りました。


元来壊れかけ再始動関連のことをブログに記すべきでしょうが、それはまた後日。(笑)

取り敢えず、今年のフジも沢山のアクトを観て大いに感化されましたが、取り分け印象に残ってるものをフジロック2017参戦後記として、ブログに書き記しておきます。


7/28(金)

■サニーデイ・サービス
思春期に慣れ親しんだ楽曲達が、今もこうやって懐メロにならず胸を震わすのは、楽曲の底しれぬクオリティーの高さ、その時代を超えた普遍性と、バンドのロックンロールバンドとしての力の賜物だと身に沁みて感じた。最近の新曲群と20年前の楽曲群が全く等価に並ぶ。ああいう音楽性ではあるが曽我部さんは昔からいつでも尖ってるしギラギラしている。

■The XX
完全に不覚だった。前回出た時少し観て全く好きじゃないなと思ったが、昨今の評判から興味本位で観たが完全に打ちのめされた。こういう音楽がグリーンの夜枠をやるくらい商業的な評価を得ていることに驚いた。僕にはYOUNG MARBLE GAIANTSの現代版のようにも思えたり、ヴェルヴェッツチルドレンな雰囲気も感じたが、そのいずれとも違う新しさがある気がした。テクノともロックとも、何かが違う。

■QUEENS OF THE STONE AGE
初日のベストアクト。やはりクイーンズはハードロックともメタルともオルタナ/グランジとも違う。オーソドックスなバンド形態とリフもののディストーションギターサウンドに、まだこれほどまでに可能性があるか、と驚く。未だにグランジや70sハードロックの亡霊を引き摺り続けるクソダサいロックバンドもどきとは、格が余りに違い過ぎると思った。ジョシュはジミヘンレベルに評価されるべきギタリストである。


7/29(土)

■Cocco
余りにも余りにも凄過ぎた。神様に遭遇してしまったような心地だった。登場しただけで涙が溢れてきた。終止涙が止まらなかった。僕はCoccoは中学時代大好きだったが、なぜかいつの間にか聴くのをやめてしまっていた。あの自傷のように突きささる痛みを、大人になるにつれ避けてしまっていたのかもしれない。ただ、Coccoがステージに出て来た瞬間、自分の10代前半の頃の心の痛みが全身に蘇って来た。この神様が、確かにあの頃必要だったんだ。誰しもが大人になる。己を己で傷つけたくなるような気持ちもいつかは薄れ、それなりに社会と折り合いをつけ過ごすことが出来るように、僕らはなるだろう。だけど、そうは出来ない人間も、いる。そういう人達の為に、Coccoは自らを犠牲にし、歌い生きてきたのだろうと、その目を見れば、身体の細さや傷、全身全霊の身振り、そして歌、それらを見れば、分かった。伝える、伝わるとは、こういうことなのか、と。一番大好きな「焼け野が原」が聴け嬉しかったが、一番良かっのは最後にやった新曲だった。この人もただひたすら前に進んでいるんだ。痛み、を連れて。

■LCD SOUND SYSTEM
最高としか言いようがない。近年稀に見る悪天候の中、皆泥にまみれ、笑いながら、泣きながら、踊っていたのではなかろうか。ホワイトステージが巨大なダンスフロアと化した。ことばにするのも馬鹿馬鹿しいくらい、ひたすら頭を空っぽに踊り続けた。その光景は巨大な祝祭のようでもあり、最大のやけくそのようにも見えた。享楽がやがて終わればまた同じように困難な日常は訪れる。どうせ受け入れねばならぬ運命。ならば、例えそれが真夏の一夜の夢だとしても、すべてを忘れ、踊り続けた方が、多分人生最後の瞬間に笑っていられるんじゃないかね。そんな気がしたし、俺はそういう人生の楽しみ方を選ぶ。

久々の大雨の2日目、もう、上記2アクトに尽きた。


7/30(日)

■THE NOVEMBERS
ロックバンドってなんて美しいんだろ、と思えたライヴ。小林さんの絶叫は儚く美しい。実は昔は苦手だったノベンバ。ただ近年の新曲群が素晴らしくて、それはどこか退廃と絶望の耽美から、未来を見据えた希望を歌うようになったからかもしれないと、勝手な印象だが、思った。昔は前髪で隠れて見えなかった目が、この日は、見えた。シューゲイザーな音楽ではあるが、その目は髪をかきわけ、前を、未来を見ていた。信じられないくらい澄んだ真っ直ぐな目だった。

■REAL ESTATE

全く予備知識なしで、YouTubeで触りだけ聴きなんとなく観たが大正解。今年一番の発見。これからレコードを買って聴いてみたい!と心の底から思え、やっぱりフジロックはこういう予期せぬ出会いがたまらない。

■トリプルファイヤー

3日目ベストアクト。悔しいが、正直全アクトの中で一番尖ってると思わざるを得なかった。聞いたことない曲もいくつかやっていたが、サウンドも、吉田のワードチョイスも、より鋭利を増している。本物の、ポストロックだ。フジロックの、ロックンロールドリームを破壊し無化させるあの殺傷力。誰がフジロックで「銀行に行った日」なんてことばを発する?正直ビョーク観なくてもいいや、とすら思えた。観たけど。




■3日間総評
テント設営中の大雨だけは頼むから止めてくれ…。






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