出逢いは春。
桜が咲き誇るこの四月。西の街・大阪は毎度のごとく賑わっていた。
関藤永和は東の街・東京から、ここ大阪に移り住むことになった。しかし、不動産屋を出た彼女は一向に手元の地図から目を離さず、歩き出す気配もない。時折、道行く人々に視線を走らせるが、また地図に目を落とす。
もともと東京の美術大学へ進むことを希望していた永和だが、軒並み不合格。滑り止め用に受けていた、大阪にあるウェブデザイン系の専門学校へ通うことを余儀なくされた。
まさか受けた大学全てに落ちるとは、ほんの少しも予想などしていなかった。わざわざ大阪の専門学校を受けたのは、友人が滑り止めに受けると言ったから。自分も念のためにと、それに倣っただけだったのに。幸か不幸か、永和は見事専門学校に拾われたのである。
ちなみにその友人は第一志望の東京にある大学に受かっている。同じ高校出身者で、美術の大学へ進んだ者はいたが、専門学校へ行った者は永和以外誰一人いなかった。
「私はこれからどうすれば良いのよ〜…」
やっと地図から顔を上げて、永和は嘆いた。観光用のマップには、他に不動産屋は載っていなかったらしい。第一この不動産屋だって、駅からあてもなくブラブラ歩いてきたところで偶然発見しただけだった。
これからこの地に住むというのに、実は大阪に来たのは今日が初めてだった。中学の修学旅行は京都のみだったし、高校は沖縄。試験は東京の会場で受けたし、友人のあとを追って受験を決めたので校内の下見にも来たことがなかったのだ。
さらに、住むところも大手賃貸アパートですぐに見つかると豪語していたのも状況を悪化させた。入学式まであと三日と迫っているこの時期に、永和のような専門学生が借りられる手頃な部屋など空いているはずもない。そう、先ほど出てきた不動産屋に言われたのである。
世間を甘く見ていたツケが、初っ端からまわってきてしまっていた。
唯一関西在住の親戚である叔母家族も、兵庫県民なので大阪に関しては全くの無知であてにならない。それでも、せめて行く先の道連れにしたいのが本音で歳の近い従兄に案内を頼んだのだが、「足手まといになるだけやし、仕事もあるから」と丁重に断られてしまった。芸能事務所で働いているらしい従兄は、なかなか空いている時間がないそうだ。
しかし、お盆などに祖父の墓参りをしに兵庫へ行くと、必ずと言って良いほど駅まで永和たち家族を迎えに来てくれるのに、こんな時ばかり「仕事がある」と言われても正直納得できなかった。お盆でも芸能事務所は休みじゃないだろうに、どうして二日酔いできる余裕があったというのか。
「…ていうか、ここどこ?」
すでに駅からここへ来た道のりなど覚えているはずもなく。交番のお巡りさんに道案内してもらおうかと思っても、それさえどこにあるか分からない。東京に戻りたいと思っても、駅がどこにあるかも分からない。
まさに八方ふさがり。
「ねぇあんた。そこに立たられると、邪魔なんやけど」
その声で再び開いていた地図から顔を上げると、正面にサングラスをかけた男が立っていた。どうやら、不動産屋の中に入りたいのに、入り口に永和がいるため入れないようだ。
自分の迷惑さに気付いた永和は、急いで退いた。
「ごめんなさい」
わざわざ頭を下げて謝ったのにもかかわらず、男は無言で店の中へ入っていった。しかも気のせいだろうか、睨まれた気もする。
そういえば、ドラマや映画の関西人はいつも柄の悪いヤンキーやら暴力団の組員やら、そんな役ばかりしか見たことがない。東京人の偏見でもあるが、永和がイメージする大阪人は相当悪という感じだった。今の男の一件で、そのイメージは正しいと彼女の頭にはインプットされた。
「感じ悪い…」
若干気分を害したものの、とりあえずもう一度不動産屋を探すことにした。駅周辺の地図に目を通すが、やはり分からない。
意を決して、誰かに聞いてみようと試みることにした。男の人に声をかけるのはさすがに勇気がいるので、なるべく年配の女の人にしようと辺りを見まわす。
しかし、こういう時に限ってなかなか思い描いた人物に会えないものだ。女の人といっても、様々な年層で溢れている。
ストレスが溜まってイライラしているのが窺えるOL。まるで自分の庭のように歩道のど真ん中を闊歩しているギャル。ベタに豹柄の服を着てスーパーの買い物袋を三つも抱えたおばちゃん。他にも、歩きながら携帯で会話をして人にぶつかりそうになっている女子大生。高校はすでに授業が始まっているはずなのに、なぜここにいるのか女子高生。
これほどの年層が揃っているにもかかわらず、永和が探す優しそうな老婦人はいなかった。
苦し紛れに不動産屋の中の様子を覗いてみる。さっきの男が賃貸アパートの資料を捲っているのが分かった。永和も同じ資料を見せられたので、きっとあの男も部屋を借り損ねた一人なのだろう。それでなぜか微妙に親近感を抱いたのは言うまでもない。
バレない程度に観察をしていると、男はだいたい永和の年齢とかわらないと見てとれた。しかも、世間的にはかなりのイケメンと評されて良いと思えるほどの顔立ちだ。それに入り口で見たときはサングラスをかけていたので分からなかったが、あのドスの利いた関西弁に似合わず垂れ目だった。
やがて、彼も良い物件が見つからなかったのか資料をデスクに放った。外にいるので聞こえなかったが、きっと大きな「ドサッ」という音が店内に響いただろう。不動産屋のヒゲを生やした中年男性が、一瞬ビクッと目を瞬かせた。
そんな中年男性には目もくれず、男は再びサングラスをつけて立ち上がった。慌てて視線を地図に戻し、店に背を向ける。
数秒後、男は店内から出てきた。まだ店の前に永和がいたことに驚いたのか、彼女を怪しげに睨んだ。なぜそんなに睨まれなくてはいけないのか分からなかったが、とにかく目を合わさないように必死に地図に目を向ける。もしかして、観察していたのがバレたのか。
そんな疑問に焦りを感じる永和だったが、突然鳴った携帯の着信メロディに救われた。どうやら男のほうに電話がかかってきたらしい。男はすぐさま電話に出て話し始めた。
「もしもし……はい。…はい、やっぱり良いとこ無かったですわ。……いえ、もう一件不動産屋行こうと思うんですけど。……はい、分かりました。ほんなら、また後で連絡します」
短い会話を終え電話を切ると、男はもう一度永和を一瞥してから歩き出した。少し間を置いてから、永和も地図を鞄にしまって歩き出す。
前方にはもちろん、これから不動産屋に行くと言ったあの男の姿が。ここはストーカーまがいの行動をしてでも、住むところを探さなくてはいけない。尾行をした経験などない彼女だったが、一心に男の背中を追った。

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