訪れる方も少ない私のブログですが、日記代わりなので、まあ、それはべつにどうでもいいと言えばどうでもよくて、運良く人の目に触れたらまあ、いいかってそんな感じです。
「花」のことなど書いてもタイトルの「iluvyou」に続くサブ・タイトルを見たら「ちょっと違ってた」なんて引き返す方が多いのかも知れませんが、まあ、とにかく私は人からは「小股の切れ上がったいい女」と言われる性格(えっ?「いい女」は「性格」じゃない? へへへ)なので別に全然気にしない。
で、まれに「組織」(もちろん左翼組織)に所属する人からメールが来るのですが、それを公表したことはありませんでした。たいていは「交流」しましょうという内容なのですが、「組織」の人にはまずブログにコメントをいただいて「仲良し」にでもなってからメールをくださいと答えています。
しかし、なぜだか、どなたからもそれに対する返事は来ません。理由はわかりません。メールで「交流」しましょうというのは、自分たちの路線は正しいので交流しましょうということが前提にあるのでしょうが、ブログを書いている人に対するマナーは、まずはブログに書き込むということだと思います。「迷惑をかけたらいけない」というご配慮かなとも思いますが、当方が「ブログで」いいと言っているのですから、別にいいんですけどね。何かまずいことでもあるのかな?
今どき珍しく?これだけ「左翼」的なことを書いていたらオルグされるんじゃないかなと実は覚悟していたのですが。
面と向かってしゃべったらされますよね、多分。ネットだとなぜないのかな? 私が友人・横田良の「月の沙漠」を紹介しているからと言って私はそこの党員ではありませんけどね。読んで面白かったから載せている「だけ」です。
何にせよ、ブログを通してもらわないとブログの意味がありませんよね。どんな組織であれ、私が100%正しいと思ったものはありません。だから必然的にやりとりが生じるはずですが、メールだとそのやりとりが明らかになりません。ブログでやりとりをすることによっていろいろなことが明らかになる、私はそれをやりたいのですが、なぜだかどの組織の人もそう呼びかけると音信不通になる。何だか変な気がします。自分たちの主張を明らかにする機会でもあるだろうに、なぜそうならないのかな? わかりません。
で、年の初めに来ていた「組織」の人からのメールの一部を公開します。公開されたくなかったらメールではやりとりしないでください。
「実は社会主義という言葉にはあまり拘っていません。資本主義を克服した社会を社会主義と呼ばなくてもいいかもしれないと考えることもあるくらいです。資本・賃労働関係をなくした、新しい社会の設計図を、みんなで考えませんか?と呼びかけたいのです。一人で考えるよりも大勢で考えた方が良い知恵が浮かぶのではないか?とバカみたいな事を考えています」
最初は私みたいな一個人の方かと思っていたのですが、何度かやりとりをするうちに「組織」の人だとわかったのです。
その組織全体がこういう考えなのか、それともその方個人の意見なのか、それはわかりません。
しかし「実は社会主義という言葉にはあまり拘っていません。資本主義を克服した社会を社会主義と呼ばなくてもいいかもしれないと考えることもあるくらいです」というような文面は
ちんぷんかんぷんです。拘っていないんだったら使えばいいじゃない。あるいはさっさと他の「言葉」を発明して提起すればいいのに、何言ってるんでしょ、この方は・・・と思っただけです。
単に「言葉」だけというならそうでしょ? もしも迷いがある、つまり「概念」としての「社会主義」が疑わしいというのであれば、さっさとそんな運動なんか辞めてしまえばいいのに・・・そう思っただけでした。
もしも「社会主義」というイメージが悪い、他の言葉で言い換えられないかと考えているというのでしたら、「姑息」としか言いようがない。右翼はそこを突いてくるでしょうが、そんな情けない考えではとうてい勝てないと思いました。だって中身は同じで言い方を変えるだけだもの。
こんなことばかり書いてこられたので、私は自分から「交流」をお断りしました。素人がこんなブログでいろいろと書いているのを承知の上で、「70年安保から自分がいくらがんばってきてもダメだったのに、素人主婦のアンタがいくら『社会主義』だと言ってもダメよ」とでも私に言いたかったのかどうか。だんだんイライラが募り、最後にはムッとしてしまったので引導を渡したのです。
きっと「アソシエーション」派に傾倒している人・組織だったのかな? そんな感じでした。
新左翼の多くが学生運動上がりだと考えると、このインテリの方々は結局は労働者階級と結びつく方法を知らなかったのだと思わざるをえないのです。「社会主義」と宣伝すれば労働者と言えども旧ソヴィエトや中国・北朝鮮を思い浮かべて嫌悪感を示すから他の名称で言わなくては・・・。そんな感じですか? でもそれは私には、彼らが本当は唯物論や唯物史観を理解していなかった、その結果、労働者階級を信頼してもいなかったためだとしか思えないのです。
自然科学系の人間は、皆「原理主義者」です。もちろん物理学を専攻した私もそうです。科学的法則から逸脱するような「トンデモ」理論は問題にもならないのですが、それは社会科学においても同じなのではないでしょうか。唯物論でなければ観念論、価値・剰余価値論でなければ主観主義か無概念。そういうことなのでは? 政治から理論に向かった新左翼(夫の言葉)ではなくて、理論から政治に向かった私には倒錯はない、全部間正しいか、全部間違っているか、中間はないのです。
この国、この社会を本当に支えているのは何千万という、働く名もない人たちです。政治家や官僚や軍や警察ではありません。
それなのにこの賃金労働者階級の代弁者と言えば、民主・社民・共産党や連合のようなどうしようもない、小市民と変わらぬ連中ばかり。いつまで経っても労働者階級は浮かばれません。それに代わる運動もまだ力を持てないでいる、これが現在の社会であり政治です。いくら田舎の山の中に住む女とは言え、これくらいのことは心にとめて生きていきたいのです。
私は明日もブログを書くでしょう。死なない限りはね。