筑豊は炭坑の街。過去の繁栄の象徴であるボタ山を望む街並は、どこか力なく、どこか無気力で、どこか他人行儀で、どこか哀愁を帯びていた。
そんな退廃的な雰囲気は、息を潜めて生きるのには適していたし、同化して存在をかき消してくれる絶好の場所であることは間違いなかった。
活気に満ちている大都会は、もう僕ら親子には不釣り合いで、居心地の悪い場所だったんだろう。追われたとは思いたくなかった、離れたかったんだ、そう言い聞かせた。
退廃の街で心まで退廃するのは、金と利己に塗れた街で不感症になるのと同じだ。僕の心は日に日に荒んでいった。
旅館での単調な監獄生活にも似た日々は、不登校で学校へ行かなかった日々よりも内向きだったが、それは貴重な内世界への旅行だったのかもしれない。自宅から唯一持ち出した小さなラジカセが僕にとっては旅へと誘うボストンバッグであり、飛行機だったり、バスだったり、船であったりした。
ラジオのチューニングを合わせると、流れる音楽達が僕を異世界に連れて行って、今の僕じゃない人生を仮想体験させてくれたり、「こっちの世界に来いよ!お前だってロック・スターになれる」と甘い誘惑をしてくる。
そんな現実逃避を繰り返している間、残して来たクラスメート達は中学生活を満喫し、卒業し、高校へ入学し、そして恋をし10代を謳歌していた・・・のだろう。そんな空想を始めはしていたけど、それは僕を追い詰めるばかりであることを知り、いつの日か過去を無かったものとして扱うことが当然だと言い聞かせていた。
旅館に滞在していると、同じく滞在している人や旅館のご主人夫婦や行きつけのお店など多少の顔見知りも出来て来る。旅館に滞在している人達は皆、訳ありだから放っておいてくれるけど、外に出ると「あの子は学校に行っていない、何してるんだろう」そう思われる事を過剰に気にして、人目を避ける様になり、父親としか出掛けなくなっていた。
そんな生活になって脳裏に浮かぶのは、僕の人生を分けたある日の出来事。
「私達と一緒に暮らすか、お父さんと暮らすのか、今ここで決めなさい」
中学一年の僕には酷な強迫的な選択の強要だ。親戚は統合失調症である母を引き取る、母をこの家には置いてはいられない、そして僕も父から離れて自分たちと一緒に暮らすべきだと主張した。
子供ながらに、母を引き取って、僕まで一緒に住めば親戚の家庭は経済的に成り立たないし、そうなれば僕達母子を疎ましく思い、きっといたたまれなくなるに違いない。そう思ったし、元々僕は親戚にはなつかない可愛げの無い子供だったので、行っても嫌われる。それに父を一人には出来ない、そういう様々な思いが去来し、混乱した。そして僕は父を選び、母を捨てた。そして親戚さえ、失った。それから今までの26年間、母親にも親戚にも会っていない。
もし、あの時母親と親戚を選んでいたら幸せに暮らしただろうか、10代らしさを満喫出来ていただろうか、恋もしていただろうか、好きなものを買って、好きな場所で遊んで、笑顔が絶えなかっただろうか。そんなことばかりを考えるのだった。でも、それは父に対する背信行為の様で後ろめたいものでもあった。
でも、いつも最終的には父といるほかないのだと分かるし、僕の選択が間違っている訳でもないのだという結論に至った。
つづく・・・

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