前にも書いたが、ここ数ヶ月、ずっと体調が優れない。
実は、俺も大分、精神を病んでいる。うつまではいかないが、自律神経のコントロールができていない。時には、口に軽い痙攣を覚え、何も考えられなくなる。
嫁からも言われた。
『もう無理な仕事をできない。やめたほうがいい。。。。』
出版の世界で末端で働くフリーのフォトライターなど、今は誰にもおすすめできない。大手版元に奴隷のように使われるだけ。今は出版界がだめだから尚更。漫画家も同様にかなり酷使されていると思う。
子供の頃から巨悪という漠然としたものを嫌い、高校時代から政治活動へのめりこんだ。親父の跡をついで教師になりたかったが、教育実習の現場を見て愕然としてしまい、ジャーナリストになろうと思った。だが、大手メディアが幅をきかせるこの国にはフリーランスの居場所は戦場にしかない。戦場でも犬死だ。もしくは、適当にタレントにでもならねば、人としての生活もできない。
ずっと、ずっと、そんな見えない敵と戦ってきた。
『篠原、政治家になればいい』
大学時代の親友からはそうも言われたことがあったが、そんなに器用でなかった。
70年、80年、90年、そして、2000年代。
どんどん、個人主義と自己責任という流れのなか、モラルやルールが失われ、日本はばらばらになった。便利と豊かさ。そして、自由。
それらのバランスのとり方が、大人も子供も上手にできなくなった。自由という名のエゴも多い。暴走も多い。隠れてやらねばいけないことも、堂々とやる。
2007年から活動しはじめたコスプレというシーン。
この3年ぐらいで、一気に個人主義化が進んでいる。それに簡単にできるようになり、コスへの思いも希薄になった感がある。
乗りで行える手軽な趣味。そんな側面も強くなった。
30代に近いコスプレイヤーと、10代のコスプレイヤーでは、コスプレというもの自体が実はかなり温度差があるのではないだろうか?
同時にメーカーもどんどんやる気をまして、戦略的になり、擬人化やマニアックな二次創作展開も肯定され、キャラや作品の位置づけなど関係なくなった。
『コスプレは愛でやるもの』。
死語になる日も近いだろう。。。。
つまり、『コスプレは消費』になりつつある。これが市場原理だ。
まあ、でもこの流れは止められず、どんどん過激になるだろう。
誰もが手軽にコスプレを楽しめる時代にはなった。これは良いこと?
ここまで書いている自分は、無責任だが、よくわからない。
ただ、何でもそうだが、大衆化すると内在してきた価値は下がる。
これが、豊かな時代の罠となる。
『コスプレは、ガキの遊びか?それとも、世界的な芸術運動か?』
これだけ大衆化し、メディアもおもしろおかしく取り上げるなか、どこへ向かうかはわからない。願わくば、本物のレイヤー(牽引する芸術家)が後者の価値を守ってほしい。
プロカメラマンには誰でもなれる。別にAPAなどに入会する必要などない。明日から「プロカメラマン」という名刺を作ればいい。食えるかどうかは、腕とつてしだいだが、これで立派なプロカメラマンである。もともと資格などない。
ただ、フォトグラファーとして活動をしているのならば、自分が撮影した写真がこの時代のなかでどんな位置づけであり、何を切り取っているのか?意識してほしい。写真は、時間を切り取る記録メディアである。数百分の1秒に何を刻むのか?誰のために、何のためにシャッターを切るのか?
当然正解はないにしろ、自己満足でいい、その答えを考えて撮影してほしい。
あくまで僕の思いであるが、写真は、消費やコミュニケーションアイテム(きっかけ)であってほしくない。1枚の写真が数万人の命を救うときもある。
正直、デジカメ時代になり、僕も写真が下手になった。もう、ポジは切れない。簡単に600カットぐらい撮影できてしまう。
でも、会心の1枚はなかなか撮影するのが難しくなってしまった。

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