| 投稿者: tasaki
■心がホッと和むチャペルです。主婦、社会人、九州保健福祉大学生、
市の国際交流員やALTの外国人の方、若い人等々集っていて、
とても楽しく、心がホッと出来る交流の場です。オープンしてまだ6年目で、
まだ人は少ない方ですが、いつも皆で親しく祈り合い、励まし合っています
■宮崎県延岡市大貫町4丁目2944-2 Tel 0982-31-4184
夕刊デイリー通り 大貫町4丁目バス停横。10階建てのマンションの前の、
白い2階建ての2階部分です。黄色い看板が出ています。
民家を用いて集会等おこなっています。広い駐車場もありますので、
安心して車でお越しください。
■礼拝会 日曜日夕4時から
■牧師:田崎敏明。1957年、53歳。
23歳の頃、教会に通い始めイエス・キリストを信じる。
33歳で、神学校卒業後、
岩手県一関市にて開拓伝道(一関福音教会)。
40歳の頃、牧師となり、2005年より、
宮崎県延岡市にて開拓伝道中(チャペル延岡)。
聖書の話を分かりやすく話すのが特徴。毎日3時間のお祈りをしている。
市の国際交流員やALTの外国人の方、若い人等々集っていて、
とても楽しく、心がホッと出来る交流の場です。オープンしてまだ6年目で、
まだ人は少ない方ですが、いつも皆で親しく祈り合い、励まし合っています
■宮崎県延岡市大貫町4丁目2944-2 Tel 0982-31-4184
夕刊デイリー通り 大貫町4丁目バス停横。10階建てのマンションの前の、
白い2階建ての2階部分です。黄色い看板が出ています。
民家を用いて集会等おこなっています。広い駐車場もありますので、
安心して車でお越しください。
■礼拝会 日曜日夕4時から
■牧師:田崎敏明。1957年、53歳。
23歳の頃、教会に通い始めイエス・キリストを信じる。
33歳で、神学校卒業後、
岩手県一関市にて開拓伝道(一関福音教会)。
40歳の頃、牧師となり、2005年より、
宮崎県延岡市にて開拓伝道中(チャペル延岡)。
聖書の話を分かりやすく話すのが特徴。毎日3時間のお祈りをしている。
| 投稿者: tasaki
開拓教会の場合、メンバーの用事が重なって、
礼拝会の出席者が極端に少ない時もあります。
もうずい前のこと。
その日の礼拝会は、
私たち家族と、ALTのケリーちゃん(今はイギリスに帰った)
だけの時がありました。しかし、
その礼拝が終わった後、ケリーちゃんが私にこう言ってくれました。
「田崎先生は素晴らしいです。
今日は私しか来ていないのに、
いつものように一生懸命話をしてくれました」
と。私はとても感激しました。
今でも、その言葉は、私の心の中で励ましとなっています。
ほめる言葉…それは人を生かします。
もちろん、ほめられることを求めて何かを行うのではありません。
それは、
「私、こんなに頑張っているのに誰もほめてくれない」
と人を裁くことにつながってしまいます。
そうではなくて、まず自分から人を褒める者になりたいものです。
礼拝会の出席者が極端に少ない時もあります。
もうずい前のこと。
その日の礼拝会は、
私たち家族と、ALTのケリーちゃん(今はイギリスに帰った)
だけの時がありました。しかし、
その礼拝が終わった後、ケリーちゃんが私にこう言ってくれました。
「田崎先生は素晴らしいです。
今日は私しか来ていないのに、
いつものように一生懸命話をしてくれました」
と。私はとても感激しました。
今でも、その言葉は、私の心の中で励ましとなっています。
ほめる言葉…それは人を生かします。
もちろん、ほめられることを求めて何かを行うのではありません。
それは、
「私、こんなに頑張っているのに誰もほめてくれない」
と人を裁くことにつながってしまいます。
そうではなくて、まず自分から人を褒める者になりたいものです。
| 投稿者: tasaki
イエス様は、赤子としてこの世に来られ、
母マリアや、ヨセフや、
周りの人たちの助けなしには、
生きることができませんでした。
人の手によって、オムツさえも変えてもらっていたのです。
イエス様は、5000人の群集に給食するために、
わずかなパンを差し出す少年を必要とされました。
イエス様は、捕らわれる夜、オリーブ山で、苦闘の祈りをされた時も、
11人の友の、背後の祈りを必要とされていました。
(それなのに11人は、眠りこけていましたが…)
イエス様は、ゴルゴダの丘に向けて歩く時には、
ヨロヨロとした足取りでした。
クレテ人シモンが、代わりに十字架をかついでくれました。
この世の全てをお造りになった全能なるイエス様が、
人の力や助けを必要とされたのです。
それは、イエス・キリストが
「愛」であることの何よりの証でしょう。
愛は、お互いに支えあうものだからです。
私があの人の世話をしてあげる、
私があの人の問題を解決してあげる、
私があの人を癒してあげる…
と私たちは考えがちですが、
よーく振り返ってみると、
実は、
私こそ、あの人にお世話になり、
私こそ、あの人から問題を和らげてもらい、
私こそ、あの人から癒されていたのではないでしょうか。
母マリアや、ヨセフや、
周りの人たちの助けなしには、
生きることができませんでした。
人の手によって、オムツさえも変えてもらっていたのです。
イエス様は、5000人の群集に給食するために、
わずかなパンを差し出す少年を必要とされました。
イエス様は、捕らわれる夜、オリーブ山で、苦闘の祈りをされた時も、
11人の友の、背後の祈りを必要とされていました。
(それなのに11人は、眠りこけていましたが…)
イエス様は、ゴルゴダの丘に向けて歩く時には、
ヨロヨロとした足取りでした。
クレテ人シモンが、代わりに十字架をかついでくれました。
この世の全てをお造りになった全能なるイエス様が、
人の力や助けを必要とされたのです。
それは、イエス・キリストが
「愛」であることの何よりの証でしょう。
愛は、お互いに支えあうものだからです。
私があの人の世話をしてあげる、
私があの人の問題を解決してあげる、
私があの人を癒してあげる…
と私たちは考えがちですが、
よーく振り返ってみると、
実は、
私こそ、あの人にお世話になり、
私こそ、あの人から問題を和らげてもらい、
私こそ、あの人から癒されていたのではないでしょうか。
| 投稿者: tasaki
2012年1月1日(日)の元旦礼拝会は、通常通り、
夕4時からです。
夕4時からです。
| 投稿者: tasaki
アメリカのある村の教会でのクリスマス。
その年は、子供たちが聖誕劇(イエス・キリストの誕生の劇)
をすることになっていました。
子供たちへの、配役が進んでいましたが、
知恵遅れ(あえてこの言葉を使用します)の、一人の男の子だけが、
残ってしまいました。
皆は、その男の子のために役を作ることにしました。
宿屋の主人の役です。宿屋の主人のせりふは一つだけです。
「部屋はありません。」
だけでした。そしてその後、家畜小屋を指指す役でした。
イエス・キリストの母マリヤは、
旅先のベツレヘムでイエスを出産しましたが、
その時、ベツレヘムの宿はどこもお客で一杯で、
宿屋の家畜小屋を借りて出産したのです。
男の子は嬉しさ一杯で、毎日家で練習しました。
そして、いよいよ当日がやってきました。
劇は進行し、マリヤとヨセフが宿屋の前にたどり着きました
「今晩、私たちを泊めてください。」
いよいよ男の子の出番です。
両親をはじめ皆が、祈るような気持ちで見守っていました。
男の子はハッキリと、
「部屋はありません。」
と言い、そして家畜小屋の方を指さしました。
みんなホッとしました。しかし、その後です。
小屋の方へ歩いていくマリヤとヨセフを見ていた男の子は、
泣きながら2人のあとについて行って、大声でこう言ったのです。
「行かないで。家畜小屋は寒いよ。
イエス様が風邪ひいちゃうよ。
僕の家においでよ、暖かいから…」
劇は中断してしまいました。
しかし、その年の聖誕劇ほど、
みんなの心に残る劇はなかったそうです。
毎年、クリスマスの時期には必ずお話する話です。
語りながら、私自身、いつも感極まります。
男の子は、確かに「知恵遅れ」だったのかもしれません。
でもこの男の子は、知らなくてもいい、
どうでもいいことを知らないだけで、
本当に大切なことはしっかりと知っていました。
私たちは、確かに、沢山の「こと」を知っています。
でもひょっとすると、
どうでもいいようなことばかりを知っているのではないでしょうか。
遅れているのは、私たちかもしれません。
いや…この私です。
その年は、子供たちが聖誕劇(イエス・キリストの誕生の劇)
をすることになっていました。
子供たちへの、配役が進んでいましたが、
知恵遅れ(あえてこの言葉を使用します)の、一人の男の子だけが、
残ってしまいました。
皆は、その男の子のために役を作ることにしました。
宿屋の主人の役です。宿屋の主人のせりふは一つだけです。
「部屋はありません。」
だけでした。そしてその後、家畜小屋を指指す役でした。
イエス・キリストの母マリヤは、
旅先のベツレヘムでイエスを出産しましたが、
その時、ベツレヘムの宿はどこもお客で一杯で、
宿屋の家畜小屋を借りて出産したのです。
男の子は嬉しさ一杯で、毎日家で練習しました。
そして、いよいよ当日がやってきました。
劇は進行し、マリヤとヨセフが宿屋の前にたどり着きました
「今晩、私たちを泊めてください。」
いよいよ男の子の出番です。
両親をはじめ皆が、祈るような気持ちで見守っていました。
男の子はハッキリと、
「部屋はありません。」
と言い、そして家畜小屋の方を指さしました。
みんなホッとしました。しかし、その後です。
小屋の方へ歩いていくマリヤとヨセフを見ていた男の子は、
泣きながら2人のあとについて行って、大声でこう言ったのです。
「行かないで。家畜小屋は寒いよ。
イエス様が風邪ひいちゃうよ。
僕の家においでよ、暖かいから…」
劇は中断してしまいました。
しかし、その年の聖誕劇ほど、
みんなの心に残る劇はなかったそうです。
毎年、クリスマスの時期には必ずお話する話です。
語りながら、私自身、いつも感極まります。
男の子は、確かに「知恵遅れ」だったのかもしれません。
でもこの男の子は、知らなくてもいい、
どうでもいいことを知らないだけで、
本当に大切なことはしっかりと知っていました。
私たちは、確かに、沢山の「こと」を知っています。
でもひょっとすると、
どうでもいいようなことばかりを知っているのではないでしょうか。
遅れているのは、私たちかもしれません。
いや…この私です。
| 投稿者: tasaki
「祈り」というものは単に「願い」だけではありません。
神様への感謝や賛美も祈りの中に含まれるのです。
祈りとは神様との会話だからです。
私たちは、ともすると「願い」ばかりを神様に語りがちです。
また、願ったことが叶えられても、
それに対する感謝が少ないかもしれません。
詩篇103篇には、
「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
と書いてあります。
これまで受けた神様からの恵みに対する感謝の祈りも、
忘れないようにしたいものです。
神様への感謝や賛美も祈りの中に含まれるのです。
祈りとは神様との会話だからです。
私たちは、ともすると「願い」ばかりを神様に語りがちです。
また、願ったことが叶えられても、
それに対する感謝が少ないかもしれません。
詩篇103篇には、
「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
と書いてあります。
これまで受けた神様からの恵みに対する感謝の祈りも、
忘れないようにしたいものです。
| 投稿者: tasaki
マタイ7:7、8には、祈りについて書いてあります。
「だれであれ、求めるものを受け…」
と書いてあります。だれであれ…というのは、
どのような状況にあってもという意味もあります。
「こんな自分のお祈りなんか」とか、
「今の自分は不信仰だから…」
とか思える時であっても、
神様は、あなたの祈りをちゃんと聞いてくださるのです。
なぜなら、神様は私の行いによるのではなく、
神様の恵みと慈しみの故に、
私たちに良きものを与えてくださるからです。
神様にとっては、私たちは子だからです。
「だれであれ、求めるものを受け…」
と書いてあります。だれであれ…というのは、
どのような状況にあってもという意味もあります。
「こんな自分のお祈りなんか」とか、
「今の自分は不信仰だから…」
とか思える時であっても、
神様は、あなたの祈りをちゃんと聞いてくださるのです。
なぜなら、神様は私の行いによるのではなく、
神様の恵みと慈しみの故に、
私たちに良きものを与えてくださるからです。
神様にとっては、私たちは子だからです。
| 投稿者: tasaki
マルコの福音書5章には、
12年間病気だった女性が出てきます。
彼女は、イエス様の
「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」
と考えていたからである…
(マルコ5:28)
と書いてあります。
それは、「きっと救われると言っていた」
とも翻訳できる言葉です。
彼女は日頃からイエス様の救いを信じ、
口で告白し続けていたのです。
それは彼女の『祈り』でした。
私たちも、決してあきらめず、
「きっと」と信じ、
全てのことを祈り続ける者でありたいものです。
12年間病気だった女性が出てきます。
彼女は、イエス様の
「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」
と考えていたからである…
(マルコ5:28)
と書いてあります。
それは、「きっと救われると言っていた」
とも翻訳できる言葉です。
彼女は日頃からイエス様の救いを信じ、
口で告白し続けていたのです。
それは彼女の『祈り』でした。
私たちも、決してあきらめず、
「きっと」と信じ、
全てのことを祈り続ける者でありたいものです。
| 投稿者: tasaki
聖書の中で一番短い言葉は、
「Jesus wept.」
(ヨハネ11:35)です。
日本語では、「イエスは涙を流された。」訳されています。
イエス・キリストは、神様ですが、
私たち人と同じ姿をとって、この世に来られたので、
私たちの弱さに同情できない方ではないと書いてあります。
(へブル4:15)。
イエス・キリストは私たちが苦しい時、
同情して共にいてくださる愛なる神様なのです。
「Jesus wept.」
(ヨハネ11:35)です。
日本語では、「イエスは涙を流された。」訳されています。
イエス・キリストは、神様ですが、
私たち人と同じ姿をとって、この世に来られたので、
私たちの弱さに同情できない方ではないと書いてあります。
(へブル4:15)。
イエス・キリストは私たちが苦しい時、
同情して共にいてくださる愛なる神様なのです。
| 投稿者: tasaki
神は、この大きさ150億光年ともいわれている
壮大な宇宙を創られた創造主です。
太陽は地球の約150万倍あるそうです。
そして銀河系にはその太陽のような星が、
約2000億個あり、宇宙全体には、
その銀河系のような小宇宙が1000億個あるのだそうです。
この壮大な宇宙を造られた神。
しかし一方で、神は、私たち一人ひとりの
髪の毛すらも数えておられると、聖書には記されています。
神は人に対して無関心な方ではなく、
愛をもっていつも共にいて、心配してくださる方です
壮大な宇宙を創られた創造主です。
太陽は地球の約150万倍あるそうです。
そして銀河系にはその太陽のような星が、
約2000億個あり、宇宙全体には、
その銀河系のような小宇宙が1000億個あるのだそうです。
この壮大な宇宙を造られた神。
しかし一方で、神は、私たち一人ひとりの
髪の毛すらも数えておられると、聖書には記されています。
神は人に対して無関心な方ではなく、
愛をもっていつも共にいて、心配してくださる方です
牧師
田崎牧師への直接メール