2009/10/8
10月報告 CABC便り
灯台が海をまぶしみ秋まぢか
海と湾のサンディエゴから報告を送ります。

ボニタは海からの涼風が届いて、夏も意外と過ごし易いので助かっています。今まで扇風機で夏を乗り切っています。今年もすでに秋の気配です。
獅子唐、ピーマン、茄子の収穫が続いています。裏の下のイチジクは、今が食べ時で、毎日30個程食べたり配ったりしています。
皆様の祈りとご支援によっていつも励まされています。神様の偉大さを忘れないで、謙虚に仕えて行きたいと思っています。体力の衰えを感じながらの毎日ですので、これからも続いて執り成しをお願い致します。
教会ブログに写真などで、こちらの動きを紹介していますが、今年5人目の青年を9月に日本へ送り出しました。送別の写真を見るたびに、日本で活躍を期待しています。ボニタ第二礼拝も歯が欠けたようで、若い力の不足が秋思を深くしています。あの賑わいが懐かしいです。
救われて、その後送り出すサイクルが続いています。9月に6回目のバプテスマを行いました。今年13名がバプテスマによって加えられています。牧師館に大きなプールがあるので大助かりです。主の導きと教会の対応のタイミングが大切です。今回は、主が受洗者達を導き、整えて下さったので、あれよあれよという間にバプテスマの準備が出来ました。「色づいて刈入れを待っていた」のです。脳の再手術や、肝臓移植を待っている二人の姉妹たちは、体調が持ちこたえられたので、足をプールの水につけて滴礼のバプテスマでした。介助の手が伸びる中で、今までにない喜びの高まりを感じました。姉妹たちの手術が早く実現するように祈っています。
日本の教会でも、講壇の下や裏に洗礼槽がある場合も多く、どしどしとクリスチャンが起こされていくように祈っています。ボニタが日本と違うところは、日本語を話す人を探さなければならないという点です。見つけたら知り合いになり、信頼関係を築いていく中で、イエス様を伝えていきます。プロセスは日本と同じです。
以前、死産のニュースを聞きました。待ち望んでいた夫婦にとって大きな悲しみでした。先日もビデオの映画のストーリーで死産の場面がありました。実話でなくても心が痛くなりました。これもビデオで見たもので「いのちあっての人生だ」と盛んに繰り返す場面がありました。
永遠のいのち、すなわち神に義として頂き、神との平和を得て永遠に神と過ごすのが救いです。キリストの福音の望みとはそのことであり、パウロはその宣教に生涯をかけました。
私は時々「目を上げて」、「畑を見なさい」とイエス様が語られた言葉を思い出します。見るという行為は、見抜くということでした。なぜなら、あの時の弟子たちの目には見えなかったからです。色づいて刈入れを待っている畑そのものが。
魂の刈場に、そのために置かれているのが教会であれば、刈る事が最優先の行為です。聖霊の働きを得て、魂が刈り取られる、すなわち滅びから救い出されて永遠のいのちに入れられる事こそ、教会に託された世に二つとない働きです。
世界の何処でも生まれるということは、共通した皆の喜びです。祝うのはふさわしく、周囲が喜びに巻き込まれます。新生の喜びが沸き起こる所が教会です。そして、そのつど教会は強くなり、豊かになり、いのちに充満され、信仰面でも高められて行きます。牧師が率先して魂を救いに導くことができます。さらに信徒と協力して刈入れの場に立つことも出来ます。そして信徒たち自身が聖霊の働きを得て刈入れに従事することができます。教会が喜びで溢れるその時こそ、教会は街角に立ちながらも、色づいた畑に在るのです。
見渡して、見抜く行為は、教会の優先順位を確保する道です。人は多くの事に目を奪われます。それでそれは尚更重要な意味を帯びています。
私の願いは、燃えるように見抜くことです。それには神との普段の交わりと、聖霊の充満が必要なので、あわれんでください、助けてくださいと祈っています。
いろいろな物の収穫の秋本番です。神様、豊かな収穫を与えてください。 中村敬宇、香代子
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海と湾のサンディエゴから報告を送ります。

ボニタは海からの涼風が届いて、夏も意外と過ごし易いので助かっています。今まで扇風機で夏を乗り切っています。今年もすでに秋の気配です。
獅子唐、ピーマン、茄子の収穫が続いています。裏の下のイチジクは、今が食べ時で、毎日30個程食べたり配ったりしています。
皆様の祈りとご支援によっていつも励まされています。神様の偉大さを忘れないで、謙虚に仕えて行きたいと思っています。体力の衰えを感じながらの毎日ですので、これからも続いて執り成しをお願い致します。
教会ブログに写真などで、こちらの動きを紹介していますが、今年5人目の青年を9月に日本へ送り出しました。送別の写真を見るたびに、日本で活躍を期待しています。ボニタ第二礼拝も歯が欠けたようで、若い力の不足が秋思を深くしています。あの賑わいが懐かしいです。
救われて、その後送り出すサイクルが続いています。9月に6回目のバプテスマを行いました。今年13名がバプテスマによって加えられています。牧師館に大きなプールがあるので大助かりです。主の導きと教会の対応のタイミングが大切です。今回は、主が受洗者達を導き、整えて下さったので、あれよあれよという間にバプテスマの準備が出来ました。「色づいて刈入れを待っていた」のです。脳の再手術や、肝臓移植を待っている二人の姉妹たちは、体調が持ちこたえられたので、足をプールの水につけて滴礼のバプテスマでした。介助の手が伸びる中で、今までにない喜びの高まりを感じました。姉妹たちの手術が早く実現するように祈っています。
日本の教会でも、講壇の下や裏に洗礼槽がある場合も多く、どしどしとクリスチャンが起こされていくように祈っています。ボニタが日本と違うところは、日本語を話す人を探さなければならないという点です。見つけたら知り合いになり、信頼関係を築いていく中で、イエス様を伝えていきます。プロセスは日本と同じです。
以前、死産のニュースを聞きました。待ち望んでいた夫婦にとって大きな悲しみでした。先日もビデオの映画のストーリーで死産の場面がありました。実話でなくても心が痛くなりました。これもビデオで見たもので「いのちあっての人生だ」と盛んに繰り返す場面がありました。
永遠のいのち、すなわち神に義として頂き、神との平和を得て永遠に神と過ごすのが救いです。キリストの福音の望みとはそのことであり、パウロはその宣教に生涯をかけました。
私は時々「目を上げて」、「畑を見なさい」とイエス様が語られた言葉を思い出します。見るという行為は、見抜くということでした。なぜなら、あの時の弟子たちの目には見えなかったからです。色づいて刈入れを待っている畑そのものが。
魂の刈場に、そのために置かれているのが教会であれば、刈る事が最優先の行為です。聖霊の働きを得て、魂が刈り取られる、すなわち滅びから救い出されて永遠のいのちに入れられる事こそ、教会に託された世に二つとない働きです。
世界の何処でも生まれるということは、共通した皆の喜びです。祝うのはふさわしく、周囲が喜びに巻き込まれます。新生の喜びが沸き起こる所が教会です。そして、そのつど教会は強くなり、豊かになり、いのちに充満され、信仰面でも高められて行きます。牧師が率先して魂を救いに導くことができます。さらに信徒と協力して刈入れの場に立つことも出来ます。そして信徒たち自身が聖霊の働きを得て刈入れに従事することができます。教会が喜びで溢れるその時こそ、教会は街角に立ちながらも、色づいた畑に在るのです。
見渡して、見抜く行為は、教会の優先順位を確保する道です。人は多くの事に目を奪われます。それでそれは尚更重要な意味を帯びています。
私の願いは、燃えるように見抜くことです。それには神との普段の交わりと、聖霊の充満が必要なので、あわれんでください、助けてくださいと祈っています。
いろいろな物の収穫の秋本番です。神様、豊かな収穫を与えてください。 中村敬宇、香代子
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