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小森清貴 solo Album『カトレア』発売中 詳細

小森清貴 Twitter @kiyotakakomori
連絡先 kiyotakakomoriofficial@gmail.com
2015/8/13 | 投稿者: komori

7月をすっとばし久々のブログ更新になってしまいました…

先日仙台にて真黒毛ぼっくす大槻さんと遊佐春菜ソロの帰省ライヴ、急遽数日前に大槻さんの演奏にギターで参加することになり遥々仙台まで行って来たのだが、この日の大槻さんのライヴが素晴らしくて、一緒にやっていてなんというか、音楽に取り付かれている、音楽の神が憑依しているようで、狂気と戦慄すら覚えた。まあ尋常ならざるショウマンシップとエモーションは毎度のことなのだが、その日は実の娘との演奏というためか、その高揚の度合いは、自分じゃまだ到達し得ぬような、そんな畏怖を感じた、

彼は多分あの日あの場で、音楽そのものになっていたのだろう。ツイッターで書いたことと重複するが、それは自己表現というちんけなものとは別種の何かであって、恐らく演奏家の至高の使命とは、音楽を通じ自己を一旦消失させる段階まで自らを高揚させていくことにあるのではないかと思う。無論それは観客をも同化させる。その時音楽は最早創り手や誰かの所有物ではなくなり、包括的かつ全体的な新しい生命体そのものとなって私達の前に現れるだろう。自己の、表現などではないのだ、音楽は。そしてそういった体験を通じてのみ、ポピュラーミュージックというものが成立するのではないかとも思う。なぜなら、ポピュラーミュージックは自ら以上に、自らならざる他者へ手を差し伸べるための音楽だからだ。そういう意味で、大槻さん及び真黒毛ぼっくすの音楽は、真の意味でのポップミュージックである。

自己が蔓延する時代になった。誰もが何かを言いたがり、発言のツールを所持し、肉体性を剥奪された場での罵りや、或いは罵られることへの過剰な怯え、自責の念もこめて言えば、誰もお前のことなんて気にしていない。己のことしか気にしていないのだ。無駄なことに神経と時間と金を浪費する癖がついてしまった。

こういうことを書いてて言うのもなんだが、せめて音楽の場では、少し「沈黙」の余白を設けたい。そういうコミュニケーションを有する能力を、人間はきっと持っているはずである。

自己表現、ではない、別の何か。
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