壊れかけのテープレコーダーズ Official Web Site
http://kowarekake.com/

小森清貴 solo Album『カトレア』発売中 詳細

小森清貴 Twitter @kiyotakakomori
連絡先 kiyotakakomoriofficial@gmail.com
2013/12/31 | 投稿者: komori

あっという間に大晦日。

ここに書こう、書こう、と思っていたことを、また書き損ねてしまったなあ…。反省。

今年を自分なりに総括して、年の瀬にひとつだけ。こうやって音楽を、バンドを続けていること、いやそもそもの、この時代を、日々を、生きているということ自体が、果たしてどれほどの奇跡足りえることや、ということを、最近ますます思うようになった。ついさっき、また1人、偉大な音楽家の訃報を知った。だが、遅かれ早かれ、死という事態とは、生命の摂理なのである。それは何も個体だけの問題ではなく、例えば、バンドという集合体、その生命運動も、いつかは皆やがて果てるのだ。

今年は、無論沢山の出会いにもまた恵まれたが、同時に別れも多い年となった。だが、それは経年とそれに伴う出会いの数に比例する必然なのかもしれない。そう考えると、僕らの生の何たる無情なことや。やがて、いつか、愛する人との別れは誰しもに訪れてしまうのだ。

だけど、僕らはそんな生を、笑って過ごせる無数の手段を知っている。それらはきっと、今はここにはなき人達が教えてくれたことなのだ。残された、刻まれた痕跡から、うたが聴こえる。それは過去という時系列を越えて、僕らに現前する未来となる。いつだって出逢える。大丈夫。

2013年へ、感謝を。ありがとう。

さて、これからピンクトカレフのカウントダウン企画!

1

2013/12/7 | 投稿者: komori

最近の思案。

どうにかこうにか我々は、賛成や反対、ではなく、そういった二元的な見地ではなく、はたまた中立でもなく、それ以外の、第四の次元というものを獲得出来ないのだろうか。ある対象に対する賛成と反対がある。どちらの見解にしても後にまた新たな「対象」と化す。その結果そこに対しての賛成と反対が生まれる。ある第一の対象へ向けられた賛成(A)と反対(B)、仮にそのBがまた事後的に対象と化す時、そこに同様に生じる賛成(C)と反対(D)。この時、D=Aに舞い戻る。ここに弁証法的な思考法の限界がある気がする。
結局我々の思考は堂々巡りを繰り返す。

また民主主義という問題に関して。この思想は多角的かつ相対的な考え方のように見え、多数決、即ち数というものに頼っている以上、極めて二分的な思考のように思える。数の多い、少ない、というものは、事実としての自明性は誰にも否定出来ない。(それがイコール善と悪、というわけでは、無論、ないが。)民主主義というものが人間にとって至高のイデオロギーであるとは、僕には到底思えない。数で劣らされたものたちの声はどこへ向かう? あるいは、更に、その声すら持たぬ者も、きっといる。

「数の自明性」を根拠にした方法、以外の思考というものは存在しないのだろうか。そうでもないような気もしているだが、実際この世界には計量不可能な事象の方が余程多いと思うのだが、それらは実証性を持たせることへの困難さ故に、論理足りえること、説得力を持つこと、即ちそこから他者とのコミュニケーションをスタートさせることが極めて難しい。だがその困難さにこそ立ち向かうのが、取り分け芸術家と称される人間の行うべき任務だと思う。

その創造性はどんな法によっても永劫に裁くことの出来ぬ領分だと思う。我々の深部には、ことばや分別よりも前のそういった不可侵な領分が眠っているはずなのだ。誰しもが。それは非常に深く、未来のように遠いところにあるのかもしれないが。

それを掘り探ることで何がしかのヒントをきっと得られるのではないだろうか、我々は。


0




AutoPage最新お知らせ