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小森清貴 solo Album『カトレア』発売中 詳細

小森清貴 Twitter @kiyotakakomori
連絡先 kiyotakakomoriofficial@gmail.com
2013/8/31 | 投稿者: komori

8月の終わりっていうのはいつも切ないなあ。それは少年の時分の、夏休みのはじまりに手に入れたあの「はじまり」の予感を、莫大な明日という時間の束を、どうしたもんか、どうにもこうにもあと瞬きひとう程の短さまでにどう浪費してしまったものなのか、ああ、という、あの8/31の夜の喪失感の感触を、今でも覚えているからなのかもしれない。大人になった今でも、その感触のなんとも言えぬ切なさというものが、残っている気がする。

「夏休み」とは少年達にとってそれは海と空を合わせた面積よりも広い、白地のキャンバスだった。有限あらざる、無限そのものの如く、終業式を終え校門をくぐりぬけた瞬間に立ち現れた永遠だった。夢のようなものであった。だが、今や僕らは知ってしまった、永遠や夢の有限性を。そんなことを知る術もない少年達は、確かにあの夏、夢の中を泳いでいたのかもしれない。その代償として、8/31のちょうど今頃、先送りにされた現実は宿題というかたちで彼等に課された。だがしかし、彼等はそこに嘘を記す。朝顔の観察日記は各々の想像上での成長が記され、彼等は課された現実でさえ、夢の領域、遊びの領分で片付けることに成功していた。

だが今や僕らはどうだろう。願わくば人生の終着地点へ追いやることも出来るはずの現実、有限な総量を持ちそれを余命日数で均等に割られ配分されただけの1日という現実を、ただなし崩し的に精算し続けているだけなのではないだろうか。

幼心に戻れというような稚拙な理論を説いているのではなく、ただ、あの莫大な「はじまり」は、どこにいってしまったのだろうか、という、切なさについて書いてみただけです。8月の終わり。バイバイサマーデイズ。

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2013/8/29 | 投稿者: komori

右とか左ではなく、私的な想い入れとか、個人的な敵意や憎しみでもなく、パーソナルで「あらざる」次元のこと、無心の状態、心を込めぬこと、想い、思惟に左右されぬこと、そういった状態の、寡黙な美、に対し思い巡らす。それは鉄筋コンクリートや鋼鉄のワイヤーに対し抱く美意識のようなもの。メッセージとは無縁にそびえ立つ巨大なモノリスの存在そのものの唯物的な美。音楽は現出し、減衰し、やがて消失した物理的な現象としての音の表面的な次元でだけ捉えられれば良い。そこには裏側はなく、隠蔽された真意も意図もない。すべては表面にある。手で取り、目で見、肌で感じる。感性よりも、感触だ。
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2013/8/24 | 投稿者: komori

ズボンズのニュースのショックから立ち直れない。もしかしたらドンさんはもう次へ向かっているのかもしれないけれど、でもやっぱりショック過ぎる。追いかけていた背中を、憧憬の対象を、失ってしまったような心地だ。僕らはこれからどこへ向かえば良いのか。

ズボンズのラストライヴの前日にはimamonが最後のライヴをやる。この日は生憎自分たちもライヴで顔を出すことが出来ない。同世代の、同じMotionなんかで対バンをした彼等の終焉もまた、とても悲しい。

バンドとは不思議なもので、それは会社とも学校とも家族とも違う、何とも説明のしようのない、されども共同体として確かに在って。壊れかけのテープレコーダーズに関して言えば、友達なのか?と問われれば、友達なのか?と首をかしげる部分もある、にも関わらずこうやってよくもまあ6年もの歳月、同じ釜の飯はさすがに食わずとも、共に音楽に携わって来て、まあ別個の個人が何の制裁のもとというわけでもなく、4人もいて各々が動くわけだから、そりゃそれ相応の衝突もあるわけで、

でもきっと観る側にとってはその衝突こそが、ロックバンドの醍醐味だったりするわけだから、だからロックバンドってのはその緊張状態を持続させるのがめちゃくちゃ大変なんですよ、予想以上に(笑)

でも、そんな張り詰めた糸は、そんなのいつかきっと途切れると思うんだ。それは決して悪い意味ではなくて。勿論その先の音楽の在り方、ロックの在り方ってのも、多分にあると思う。

でもでも、その緊迫の糸というものの存在は、もしかしたら人生で一本きりなのかもしれないとも、思う。

例えばビートルズってのは正にその糸そのものだったんじゃないかと思う。その後のジョンやポール、ジョージやリンゴの各々の活動は、違うんだ。勿論僕は全部好きだし、優劣の次元で測れないけれど、ビートルズはきっと、張り詰めた糸だった。

そしてそれはその緊迫のテンションが故に、切れた。それはもう、どうにもこうにも再び繕うことは、出来ないのだ。

何度も言うけど、その後が駄目だという話じゃない。

ただ、糸を無理やりぴんと張れば、そりゃ物理的に途切れるんだという話。
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2013/8/21 | 投稿者: komori

8/20火曜は渋谷WWWに下山の企画「BUG ME TENDER」を観に行った。素晴らしいイベントだった!テニスコーツと青葉市子さんの静かなガットギターの調べと、メルツバウの地獄のノイズとを、見事に下山が繋いだね。テニスの繊細な音に耳を傾ける時、その中にとてつもなく大きな轟音を見出すのと同じように、メルツバウの轟音に感じる静寂。その調度中間地点にこの日の下山はいた気がしたな。恐るべき触れ幅を持ったバンドだなあ、やぱっり。

ズボンズの「最後の」ライヴのアナウンスがされた。ムーさんが抜けた時の時点で、何となく来るべきこういう日を予測はしてたんだけれども、ドンさんの不屈のバイタリティーは、そういった苦難をも跳ね除けてしまうのではないかと、心のどこかで望んでいた。ケラケラとまた高らかに笑い、またライヴハウスで出逢えるのだろうと思っていた。だけれども、現実はこういった形で訪れた。ドンさん本人、ズボンズのメンバーにとっては、とてつもなく重い決断に違いないのだけれど、一ファンとしては、その告知ツイートは、余りにもあっけないものだった。すみません、ドンさん、語弊があるかもしれないけど、僕は、正直悲しいです。

もう、わけわからん。マヒト君がMCで東京来て1年経ち、全くわけわからん、って再三言ってたけど、僕の場合東京云々じゃないけど、世界、わけわからん。当事者だけの責任、問題じゃないだろ、と。取り巻く世界よ、わけわからんぞ、全くもって。僕は未だズボンズとブッチャーズのライヴがもう観れない世界の意味が全くもってよくわからん。
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2013/8/21 | 投稿者: komori

日曜日はshow boatで割礼宍戸さんソロとsakanaを観た。sakana実はライヴをちゃんと観るのははじめて。CDではずっと昔からファンだったんだけど、なぜかライヴを観に行くタイミングを逃し続けていた。ポコペンさんのうたは勿論、西脇さんのうたうギター、良かったなあ。ギターで、ギター以外の無数の楽器の役割を果たしてるような気がした。この2人編成で十分なんだなと思った。ひとつの楽器が、その楽器以外の何か別の楽器でもある、という可能性はとても重要なんだと思う。例えば、ストーンズにおけるキースのギターってもうひとつのドラムみたいなものだと思っている。そうするとチャーリーのドラムはドラムであると同時に、もうひと要素別種の何かをひそめたものに聴こえてきたりもする。

壊れかけでまた新曲を作っている。当初モータウン調のものを僕は想定していたのだが、バンドでアレンジしていくうちにTHE WHO的なロックの方向へとシフトしてきている。そういった過程を経てはじめて、フーやスモール・フェイセズ、ジャム等がソウルやR&Bを聴き、ああいった音楽に自分等が辿り着いたか、その気持ちが分かった気がした。ある形成された音楽(ここではあえてジャンルとでも呼ぼうか)が、その元来の出自となるコンテクストを越えて、別のコンテクストに移動される時、それははじめは模倣やコピーに過ぎないのであろうが、やがてその移行されたコンテクストが要求する形へと形成される。この混血性というものは悪く言えば土着性の排除なのだけれど、良い意味で言うとコスモポリタンな性質とも言えるんだよね。ロックミュージックの歴史の面白いところは、その発生から有史上ずっとそういう異種混合の葛藤を続けてるんだよね。それは21世紀になった今でもまだ過程の段階にある。と、そう僕は信じている、可能性を求めているから、面白いのです、ロックが。
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