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過酷な環境 子どもはできるだけ過酷な環境で育てるべきである。
わが家は二階建ての借家である。一階にはクーラーがあるが二階にはない。子どもは二階で寝ている。夏の夜の二階は蒸し風呂状態で、おそらく気温は30℃を下らないだろう。身体を冷やす道具は扇風機だけ。そんな過酷な環境で子どもたちは毎日寝ている。窓をあけて少しでも涼しくしてやりたいとは思うのだが、泥棒が入ってくるので窓はしめている。
あまりに暑いので子どもたちは子どもたちなりで暑さ対策をしているようだ。半ば脱水状態で寝ているのでしょっちゅう水分を補給しに一階に降りてくる。その時は水ではなく、できるだけお茶や牛乳を飲ませることとしている。また氷枕のようなものを用意してこれを身体に当てながら寝ている。
対照的におやじとママは一歳の第四子とともに涼しい一階で寝ている。私もときどき子どもに添い寝をしてやることもあるが、とてもじゃないけど暑くて眠れない。よくこんな過酷な環境でも子どもたちは眠れるものだと、わが子ながら感心する。
こんな状態で3人の子どもたちは寝ているのになぜか文句はいわない。その理由は次の3点である。
@文句を言ったところでおやじには通用しないことがわかっている
A物心ついた頃からこういった過酷な環境で寝ているのでそれが当たり前だと思っている
Bおやじが当直でいない時、および病気の時は一階でママと一緒に寝てよいということになっている
わが家では子どもはだいたい三歳になると親元を離れて寝ることになっている。最初は当然一人だったが、これが少しづつ増えて今では3人になっている。三歳というのはいわゆる”物心”というのがつくかつかない頃で、このくらいの年齢からさせられたことというのはだいたい本人にとっては当たり前のこととして自然に受け入れることができる。(だから本格的なしつけは三歳から始まるのである。”三つ子の魂百まで”ということわざは三歳までのしつけではなく、三歳からのしつけの大切さを説いているのである)
したがって三歳から過酷な環境で寝ることを余儀なくされると子どもにとってはそれが当たり前となる。文句は出ない。「おやじとママは涼しい部屋で、自分たち子どもは夜は暑い部屋で寝るのが当たり前」ということになっているのだ。
もしこれが逆だったらどうであろう。つまり子どもを物心ついたときから涼しく快適な部屋で寝かしつづけるのである。子どもは「おやじどもは暑い部屋で寝る、自分たち子どもは涼しい快適な部屋で寝るのが当たり前」と思うようになるだろう。
そんな子どもは将来大人になったときにどんな人間になるか。
そう思ってあえて過酷な環境で寝かしつづけている。しかししつけはムチばかりではダメ。アメも必要だ。そのためにおやじが当直(大体月に6回くらいある)の時は一階で寝てもよろしい、という特例を設けている。ママの話では子どもたちはこれをとても楽しみにしているらしい。要するに週に1〜2回は涼しい部屋で寝られる保証があるからこそ毎日の過酷な環境での睡眠に耐えられるのだろうと思う。
結局、アメとムチを使い分けながら、基本的には子どもは過酷な環境で育てるべきだと思っている。
悪いのは権力か民衆か
人間の歴史は悪の連続である。人種差別、戦争、ジェノサイド、内戦、テロ、等でこれまでいったい何人の人々が非業の死をとげてきたことだろうか。
私達がこれまで習ってきた歴史はおおむね唯物史観(=自虐史観=東京裁判史観=進歩的史観=マルクス主義史観)にもとずくものであり、こうした歴史における悪の原因は常に権力側にあり、犠牲となるのは常に弱い一般民衆であると教わってきた。(見方を変えれば権力というものがなかった石器時代の人類などはみんな平和で仲良く暮らしていた、ということになる。本当かいな)
この史観は端的にいえば「民衆は善良であり、権力は悪である」というものである。たとえば明治憲法下にあった大東亜戦争前の日本は秋霜烈日の暗い時代であり、悪いことはすべて権力(昭和期においては特に陸軍)が行った、無辜なる民衆は権力の犠牲者であった、ということになっている。対照的に戦後の日本では日本国憲法によって国民主権となり、軍隊もなくなり、民主主義国家となり、国民は権力の横暴からは解放され、自由で明るい社会が到来した、となる。歴史教科書の記述が戦前があまりに暗く、戦後のそれがたいへん明るいことを記憶されている方は多かろう。
しかしながら、こうした史観に対しては近年多くの疑問が呈されている。最初の挑戦はおそらく昭和40年代に「坂の上の雲」を書いた司馬遼太郎氏ではないかと思うが、最近有力になってきた藤岡信勝氏らの自由主義史観などはさらに司馬氏の考えを進め、「戦前の権力は必ずしも悪ではなかった。むしろ戦後日本同様、国民の権利擁護を図っていた。戦前の”悪”は権力だけではなく、一般大衆の側にもかなりの責任があるのではないか」といった見方を示している。(参考ページ;三つの歴史観、頑張れ、司馬史観!!)
ここではかの関東大震災における朝鮮人の虐殺問題を考察し、はたして権力がこの事件にどこまで関与していたのかを探ってみることにより、権力と民衆と悪の関係を考えてみたい。この事件はまさに”悪いのは権力か民衆か”を象徴しているからである。
この事件に関して私はおおむね次のように高校で習ったと記憶する。
関東大震災においては朝鮮人が多数虐殺された。これは官憲が国民の中にあった在日朝鮮人への潜在的恐怖を利用してデマを意識的に流したために起こった。当時朝鮮は日本の植民地となっており、東京でも多くの朝鮮人が下層階級として暮らしていた。またこの混乱に乗じて大杉栄ら社会主義者も官憲により虐殺された。
私が日本史を習ったのは今から30年も前であり、まだまだ唯物史観が支配的であった頃であるから、関東大震災における朝鮮人虐殺に関しては上記のようにその原因を権力側に求める傾向が強かった。
しかしそうした考えが本当に正しいのか。最近では通説的な考えを明確に否定する学説も表われてきている(たとえば獨協大学教授中村粲氏の説など。
この事件を考えるにあたってはまず絶対に確実な事実をはっきりさせておく必要がある。それは以下である。
@朝鮮人の大虐殺そのものは実際に行われた。(ここがその存在さえ疑問を呈する意見がある”南京大虐殺”と異なるところ)
A自警団が虐殺の担い手となっていた。
上記の二つの事実は疑いようがない。そして意見が分かれるのは以下の事実認定に関してである。
@虐殺された朝鮮人の数
Aデマは誰が流したか
Bデマは誰かによって利用されたのか
C虐殺の下手人は自警団だけか
D虐殺に関し、国家権力はどこまでこれに関与していたか
@に関しては上は一万数千人以上というものから(これは朝鮮側の記録。しかし当時東京に在住していた朝鮮人は一万数千人と言われているからヘタすると在住していた以上の人が殺されたというおかしな話になるし、純粋に震災で亡くなった朝鮮人も”虐殺死”とカウントされている可能性もある)下は数人からせいぜい数十人というものまであり、はっきりしない。内務省の記録では数百人ということになっているが、一般的には約6600人ということになっている。
一般にこの手の被害者数というものは被害者側はその人数を誇張しようとするものだし、加害者側は少なめに見積もろうとするから本当のところはよくわからない。しかし虐殺された人数そのものは本質的な問題ではない。
問題はA以下である。これらに関しては左翼陣営と左翼に否定的な人たちとの間でかなり意見の相違がある。唯物史観に凝り固まっている左翼は当然虐殺に対する国家権力の濃厚な関与を考えるが、自由主義史観の人たちは逆に日本人民衆にひそむエゴや朝鮮人に対する恐怖がデマや虐殺の原因であるとし、国家権力はむしろこうした民衆による悪から被害者を守ろうとしていた、と考える。
さらに左翼陣営は朝鮮人がこうした被害にあったのは日本が朝鮮を植民地とし、朝鮮人を抑圧したことが原因であるとし、悪の根源を日本帝国主義に求めるが、自由主義陣営の人たちは日本人民衆が朝鮮人へ潜在的恐怖を持っていたのは在日朝鮮人自身のそれまでの言動にも問題があり、当時の日本の朝鮮政策そのものとの関連は積極的には考えない。(そもそも当時の日本の朝鮮政策の是非に関しても意見は真っ二つに割れているわけだから)
以上のことをまとめるとだいたい以下の表のようになるだろう。 左翼陣営 自由主義陣営
@虐殺された朝鮮人の数 数千人〜一万人以上 数人〜数百人
Aデマは誰が流したか 軍や警察が意識的にこれを流し、社会主義者の弾圧や朝鮮政策遂行のために利用した。 デマは民衆の間から自然発生的に現れた。背景には当時の日本人民衆の在日朝鮮人に対する恐怖感があった。官憲が意識的にデマを流したわけではない。
Bデマは誰かによって利用されたのか 発生したデマは官憲によって巧妙に操作され、意識的に拡大された。 デマが官憲によって拡大されたわけではない。むしろ官憲側はデマの流行を鎮火させる努力をした。
C虐殺の下手人は自警団だけか 自警団とともに軍や警察も虐殺を行った 下手人は自警団だけであり、軍や警察が自ら虐殺を行ったという事実はない。
D虐殺に関する国家権力の関与 国家権力は自警団に虐殺を積極的に奨励し、自らも手を下した。したがって悪は権力側にあるのであり、自警団を始めとする民衆側は単に権力に踊らされただけである。民衆は悪くない。 国家権力はむしろ自警団による虐殺をいましめた。したがって悪は日本人民衆そのものの朝鮮人への恐怖感、差別心などといったエゴにあるのであり、国家はむしろ被害者である朝鮮人を庇護する方向に向かったのである。
私が日本史の授業で習ったように、この大虐殺に関しては以前は左翼陣営的意見が定説に近かったが、最近では自由主義陣営的意見がかなり力を持ってきている。しかしながら専門学者の間でさえ、真っ二つに意見が分かれており、またすでに80年も前のことであり、資料自体が意識的にかどうかはわからないが散逸していて確かめようもない。そのために各陣営が各々の都合のいいようにこの事件を解釈しているのが実情である。
個人的には私は自由主義陣営の意見に与する。やはり民衆には何の罪もなくすべては権力が悪い、と割り切ることには無理があると思うからである。無論権力側が無謬であった、というわけではない。悪い権力者はいっぱいいただろう。しかしたとえば大東亜戦争の沖縄戦の最中に誰もが尻込みした沖縄県知事に赴任して殉死した島田叡氏などのように今日の眼からみてもすばらしい権力者もいる。
結局は権力=悪とひとくくりするのがいけないのだ。また民衆=善とくくることもできない。それぞれに悪いヤツもいればいいヤツもいる。これまで歴史上行われてきたさまざまな”悪”はどちらが悪いとはいえないのだ。あえて言えば権力者も民衆もどちらも悪い、ということだろう。
大事なことは権力側と民衆が協力して”悪”が出てこないように封じ込めることだ。悪のなすり付け合いをするのではなく、両者ともに存在する悪を認めた上で忌憚のない意見交換をすることである。
今日の文明を維持・発展させていくために権力の存在は欠かせない。これまでの唯物史観のように徒に権力を悪と決め付けるのではなく、どういうことが社会正義なのかを見極めることが大切。少なくとも日本人同士ならばそれは可能であろう。
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